二十数年ぶりの

昨日、N島からメールが入って。
「何気に我らの母校が明日決勝を戦います」
とのこと。
おお、そういえば今年は本命だと何かで読んだ記憶があったが、決勝ですか。


ということで、今日は昼にオフィスに戻って、KBCサイトの動画中継を覗きながら仕事w
アポがあったので、8回終わって5-0で勝っているところで外出したが、その後、N島から結果メールが来て、見事に優勝。二十数年ぶりの甲子園出場決定。オメ。


我らの母校は、俺が入学する前までは春夏合わせて3〜4回は甲子園に出ていて、俺の現役当時も2年の時には下馬評高く、学校も本気で狙っていたと思うのだけども、大会直前にエースが故障して結局ベスト8くらいで止まってしまって。
その後もコンスタントに最低でもベスト16のラインはキープしていた筈だし、10年に1度くらいは決勝まで行ったものの、あえなく玉砕。その決勝のうち1度は、最終的に甲子園で準優勝した、前田幸長山之内健一を擁する第一に10-1くらいでボコボコに負けた記憶がある。福岡県の高校球界では、「ああ、そういえば最近あそこパッとせんな」というような位置付けなんだろうか。
(余談ながら、福岡にいた当時、卒業直前(つまりプロ入り直前)の山之内を見たことがあるが、どう見てもヤクザ予備軍にしか見えなかったのを覚えている。)


福岡県はだいたい南高北低の傾向があって、南は柳川、大濠、久留米、第一、西短、東福岡あたりがひしめいていたんだが、北は東筑(M摩曰く「伝統の喰田暴走野球」)が1つ抜けてて、その下にウチとか第五、豊国、あとは倉高がいるくらいで、全体的に小粒。
そんな中で基本的にウチはみんな受験に失敗して公立落ちた奴のふきだまりだったので、「公立だけには負けんな」、しかも俺のクラスは東筑に落ちた連中が多かったので、「東筑だけには負けんな」みたいな気分が濃かった。俺は東筑はどうでも良かったが、「倉高には負けんな」と思っていた。俺が落ちたのは倉高ではないけれど。
いずれにしても東筑も倉高も、「お勉強ができる上に、野球も強くて、俺らはあいつらの引き立て役ですかw」というのが嫌だったのは間違いない。


そんなこんなで、卒業してしばらくは、いつかは甲子園で同窓会、とか言ってたなんだが、もう20年も経つと、一体どうなるんだろう。
サッカー部は冬の選手権に出たときはかなり驚いたが、流石にそれで集まるのは無理があったし。
(さらに余談ながら、潮田玲子が女子部の卒業生と知った時は驚いた。言われてみると女子バドミントンは強かったような気もするが、うろ覚え。)


ただ、ふと気がつくとカントクはバシではなくて、ダルビッシュが東北にいたときの監督を引っ張ってきているらしい。要するにカネを積んでいるということか。。。
バシ、今考えるとヒトは良さそうだったんだけどな。負ける度に「だってカントクがバシやもんw」と言っていたものだw


まあ、いずれにしても、抽選が楽しみですな。