三峡下り

gowest_lookeast2006-08-07

8/3夜に重慶から出航した三峡下りクルーズ。
とにかく何だかんだと金がかかって、4泊5日で、軽く1000元以上。これは予想以上の出費。


キャビンは4人部屋で、残りは3人とも中国人。カップルの石超&郭蕾と、学生旅行の方旭。結果として三峡下り自体は、大したものでもなかったが、この3人のお陰でどうにかなった。


出航前に、一番上のデッキに上がろうとすると、何と、一番上のデッキに上がるのにはパスが必要で、これに60元払わなければならなかった。そこまでして金取るのか、って感じだか、仕方なく払う。


クルーズの間、色んな所に停まって周辺の観光地を回るんだけど、俺が降りたのが、青龍瀑布、張飛廟、白帝城、小三峡、三峡ダム
青龍瀑布は、まあ、なんつうか。ただの滝。大きい事は大きいけど。それでもナイアガラのアメリカ滝の1/5くらいの迫力。カナダ滝には較べるべくもないし、滝評論家の俺様からすると、滝なら南米イグアス。


張飛廟と白帝城は、三国志のファンなら、行ってもいいだろうけど、白人観光客は、三国志なんか知ってるとは思えないので、さぞ退屈だったろう。時間があればクルーズの後で赤壁荊州まで行っても良かったんだけど、時間がないし、行っても、「ふうん」で終わったような気はする。


しかし、張飛廟はともかく、関羽の墓はドコにあるんだ?と石超に聞いてみたところ、
関羽の墓は、中国中にあるんだよ」
「あ。それなら日本にもいくつかあるぞ、関帝廟
「でも、本物の墓は成都じゃないかなあ」
といいつつ、手元の携帯で検索した所、なんと
「山西だ!俺も知らなかった、関羽の生地らしい」
なるほど。これでまた一つ知識が増えた。


小三峡には、かなり期待していたんだけど、期待外れ。
完全稼動はしていないとは言え、小三峡に限らず、長江自体の水位が、もう相当に上がってて、数年前とは全然違う風景に変わってるのだ。きっと。
どれくらい変わってるかというと、時折、両岸に水位の表示があって、ダムが完成して完全稼動すると、158mまで水位があがることになってるらしい。それで、現在の水位がどれくらいかと言うと、既に140m近い。。。


オイオイ、あと20mしか上がらないんじゃん!みたいな。


峡谷の高さは、場所にもよるけど、水面から大体100m〜150mくらいか。
だとすると、既に、ざっくり半分の深さになってるので、今の倍の峡谷の高さがあれば、確かに迫力あっただろうな。しかも下にいくほど、川幅は狭くなる筈だし。
ただ、いまでも、それほど幅が広いとは感じなかったので、元々さほど広い幅ではなかったんだろう。だとすると、やはり大雨ですぐに水かさが上がって、水害は相当に問題だったんだろうなとは、感じた。


3日目の夜は、4人で巫山に上陸して重慶火鍋を食う。前の日から郭蕾が火鍋が食べたい食べたい、とダダをこねてたんだが、船内のメニューにはなく、念願の火鍋である。俺も、中国で火鍋は食ったことないし、そもそもいくら俺でも1人で食うのは無理なので、この機会には依存ナシ。
真っ赤なスープに具をつっこんで、汗びっしょりになって食う。元々、辛いものはそんなに食えないんだが、たまにむせながらも、なんとかなる程度の辛さであった。
ここまで、3人にさんざんメシを奢られ続けてきたが、誰よりも早く金を出して、どうにか払わせてもらう。どう考えても、俺が一番カネ持ってるし。


巫山もそうなんだけれども、重慶から下ってくると、時折、丘の上に高層マンションの集落みたいなものがあって、最初は普通に長江沿いに出来た街だと思ってたのだが、これは皆、移民の街だということが判って、ちょっとビックリ。要するに、既に水没した町なり、村なりに住んでいた人々が移転してきて出来た街なのだ。


想像するに、電気と水道(いや、もしかすると水道はなかった可能性さえある)が通っているだけの、谷間の小さな村に住んでいた人々が、新たに住むようになったんだろうけど、そこにあるのは高層ビルとマンションに囲まれた、どこにでもある中国の街。
ちょっと違うのが、谷の上の方にあるので、坂道だらけの街だってこと。ほとんど白根寮並み(判る人にしか判らないネタだな)の傾斜地に、へばりつくように街がある。
街ができて、2年しか経ってないと。
ちょっとそれは、異様な風景でもあって、なかなか興味深かった。数年前には見られなかったものではある。


最終日に、三峡ダム。俺が259901番目にダムの上に立った客らしい。そんなのはどうでもいいんだが、何が何やらワケがワカラン状態だった、ナイルのアスワンハイダムに較べると、遥かに普通のダムだった。ダム評論家の俺が見ても、とにかくデカいことはデカい。増淵ダム(これは誰にも判らんネタ)とはケタが違う。
中国人は至る所で記念撮影。ここに限らず、どこでも記念撮影してる中国人だが、ここは彼らにとっては世界に対する新たな一つの象徴でもあるのかな、とも思う。


ただ、俺が一番見たかったのは、船が通るための水門なんだが、これは一瞬前を通っただけ。あの、水門プールで、船が下に降りて行く所を見たかったんだけど。ダムのそばの丘の上からみると、丁度、俺らの乗っていたフェリーが水門を通過しているところだった。ダム見学せずに、フェリーに残ってたら、実体験できたのに。。。



と、思ってたんだが、なんと。
この日の夜、宜昌に到着する直前に、水門を通過するというアナウンスがあって(アナウンスは全部中国語で、俺に判る筈ないので、3人が教えてくれて、デッキに出るぞ!ってことになった)、ここで初めて、水門で川の段差を通過するという体験ができた。


俺らのフェリーは、横幅15〜20mくらいで、何百人か乗ってたと思うんだが、水門の中のプールには、横幅だけでもう1隻入れるくらい。当然と言えば、当然なんだが、相当に大型の船舶でも通過できるようになってる。
俺らのキャビンは一番後ろだったので、後ろのデッキに出ると、運良く、最後尾でプールに入った。水門がゆっくり閉じられて、その後、徐々に水が抜かれるのに伴って、フェリーが下に降りていく。
俺も、周りの中国人も、「おお、降りてる!降りてる!」
当たり前だっちゅーの。
しかし、やはり実際に体験すると、降りてる!降りてる!となっちゃう。


5分くらいで、20mくらい下に降りたか。さっき居た場所からすると、完全に川の底。
前の水門が開いて(これは見えなかったんだけど)、無事通過。
段差は1ヶ所だけだったので1回だけだった(三峡ダムだと5段か6段あった筈。高さを考えると、それくらいあって当然か)けれども、とりあえず面白い体験であった。


この後、1:00に宜昌港に着岸。
俺は翌朝までキャビンで寝てから上陸なんだが、3人は、ここから夜通しバスに乗って武漢まで行って、石超&郭蕾は鄭州、方旭は黄山に帰る。下船するところまで見送って、3人と別れる。彼らには、本当に世話になって、仲良くもなって、名残惜しかったのだけど。


5:00くらいまで寝て、1人で下船。
さて。宜昌。とりあえず駅まで行って見て、広州行の列車のチケット。
運良く、10:57の硬臥が取れた。
やれやれ。これで香港まで飛行機を使わずに、どうにか帰れる。