誰か

東京に出てきて20年近くになるが、最大の地震だった。


新入社員のY氏と共に15:00から三越近くでの客アポで、そばのスタバで簡単に事前レクしてるところで発生。
最初、「ああ、揺れとるわ」と思っていると、しばらくして激しい横揺れ。外に出たほうがいいかとも思ったが、まん前のビルが全面工事中だったので、そっちの方が危ないと判断して店内に残る。吊り下げの照明は大きく揺れる。
やけに長く感じたが、実際には1〜2分だったんだろうか。よくわからん。震度5近くは行ってたと思う。
ようやく揺れが治まった後、店内でネット繋いでた人から、「震源は宮城沖でーす」とのことで、あ、関東じゃないんだと思ったのも束の間、東京であれだけ揺れたということは、現地はどうなの?と思い、ちょっと戦慄。
オフィスは大丈夫かしら、と思い電話するも全く繋がらず(結局、携帯は一晩中繋がらなかった)、この時点ではiモードメールも同様。


地震慣れしてる筈の東京の人々も騒然。
外に出ると、オフィスビルから出てきて路上に屯している人々多数。


とりあえず15:00に客先に行ってみると、エレベータは停止。1階受付呼び出しで職場には繋がったが、8階フロアはそうとう酷かったとのこと。1階で簡単に挨拶だけ。


三越前に出ると、まあ人通り、というかビルからの避難での人出はやけに多いが、建物は普段どおり。けど、これ地下鉄は絶対に動かないよな。
俺はどうせNRの積りだったんだけども、Y氏はオフィスに戻るとの事。結局帰れたのかどうかワカラン。


とりあえず徒歩で東京駅方面に向かうと、やっぱり地下鉄が停まっているせいか歩いている人が異常に多い。一部封鎖されたビルあり。職場支給されたヘルメットを被った人々もチラホラ。
東京駅に着いてみると全線ストップらしい。やっぱ無理か。大丸は普通に営業していた感じ。今考えると大丸あたりで優雅にデパ地下食料なんぞを買ってた人々は正解だったのかも。


さて、この時点で16:00くらい。ここで初めて帰宅難民化の予感。
どっかで座る場所を確保して電車が動き始めるまで待つか、歩いて帰るか。経験上、2時間半歩けば帰れるのは判ってる。
途中まで地下を走る総武線快速より、ずっと地上を走る総武線各停の方が動いてる可能性が高いかも、ということで神田・秋葉原方面に転進。やっぱり歩いてる人、多数。タクシーも全部乗車中か、あるいは回送。そこここで渋滞も始まっている。レンタカー屋にも行列。
バス停で行列してる人も多かったが、あれはどうかしてる。バスが来ても絶対に乗れないパターンじゃんなあ。バスに乗りたいなら、逆方向に歩いてでも始発に乗るしかないぞ。


神田まで着いてスタバを覗いたら1つだけ空席があったが、とりあえず秋葉原まで行って総武線各停に賭けてみるもあえなく玉砕。秋葉原の駅は人が溜まってるだけ。改札にあったモニターはNHKに切り替わってたが、イニシエの街頭テレビ状態。画面には津波が農地らしきところを襲ってくる空撮。凄い。あっという間に飲み込まれてる。続いてコンビナートらしきものが炎上している絵が出て、「千葉県・市原」のキャプション。「ええっ、市原であんなのかよ?!」と、まるで戦争でも始まったような感じ。


さて、秋葉原は流石に神田より断然人が多いし、座る場所の確保はまず無理。ああ、さっき神田で座っとけば良かったと思いつつも、10秒だけ考えて、とにかく歩いて東に向かうことにする。橋さえ渡れれば、19:00くらいには家にたどり着くはず。
靖国通り京葉道路を浅草橋、両国と、西にも東にも歩いている人多数。幹線道路は大渋滞。そういえば、日本橋の首都高入口も閉鎖してたので、きっと首都高も動いてないんだ。
まあ、俺とか歩けばなんとかなるというのが判ってる(最近何度か歩いてるし)けど、千葉・埼玉・横浜方面とか、打つ手ナシだよな。


両国と錦糸町の間あたりでやっとiモードメールが断続的に回復。オフィスのS嬢宛に「月曜は朝から霞ヶ関なんで昼から」と、とりあえず月曜朝には読まれるであろうメールを打つと、ソッコーで帰ってきてちょっとビックリ。あ、無事なのね。当然だけど、と思いつつも、今オフィスにいるなら動かずに待ったほうがいいと返信。駅に出ても、そこで座る場所もなく途方にくれるだけなら、ぬくぬくとしたオフィスでコンビニ菓子でも食ってた方が遥かに良い。


錦糸町まで着くと、駅前のバス乗り場は凄まじい行列。
京成が動いていればラッキーだと思いながらさらに押上まで歩くも、やっぱ無理っぽい。家までの完全徒歩帰宅が決定。


途中はずっと車の渋滞で、地震の影響で曳舟の踏切が壊れてあがらない状態のまま道路封鎖。こんなのまで起きてんのか。けど、SSやCountryとは違って底が固い革靴で歩くのもかなりキツい。曳舟から八広あたりで足が痛くなってきた。
と同時に晩メシの心配が。
道中、コンビニは開いているが、店を閉めた商店多数。家の近くのホカ弁は開いてるかどうかワカランし、通りがかったコンビニで食糧を買い漁ってる人々の状況を見てると、ホカ弁はゲロ混みかもしれん。八広でコンビニに入ってみると、おにぎりは完売だし。


最後の難関、木根川橋も無事通っていて(橋から見ると案の定、首都高は止まってる)、荒川を越えて18:45頃にやああっと帰宅。と思ったらエレベータが停まっていた。まあ、そうかと思い、7階まで歩いて上る。やれやれ。
食糧も、最後のコンビニでとりあえずゲット。
本棚が倒れてたら最悪だなあ、けど1階であれだけ揺れたら倒れてても不思議じゃない、と覚悟して部屋にはいったが、無事だった。横積みにしていた本が崩れていたのと、奥の部屋に積んでいた箱類が崩壊していたくらい。
電気と水道も普通に生きてる。ガスだけは安全装置で停まったらしいが、メータをいじって再起動で使えるようになった。
後で気がついたが、ガスが停まってメータ再起動できない、あるいは起動方法が判らない人々がコンビニとかホカ弁に殺到してああなったんだ。多分、多くの世帯は起動方法が判らないだけのような気はするが。


TVを点けると、現地レポ中心に、ときおり都心の映像。都心ターミナル駅は帰宅難民・移動難民で溢れてる。そりゃそうだよな。俺もさっきまでいたけど、人は増える一方に決まってる。
しかも地下鉄、JR、私鉄は全く動いていないらしく、それはどうにもならんわ。飲み屋で場所を確保してればともかく、この時点でぬくぬくとした家にいた俺はけっこう恵まれた方だったと思う。


余震は断続的に。ドコモの緊急速報警告が何度か入った。(これは朝まで続いて、その度に起こされた。もっとも現地の人々に較べると1万倍ぬくぬくとした部屋で寝ていた俺だけど)


けど、たまたま日本橋にいたから歩いたけど、もしもオフィスにいたら、家まで歩いたかどうかはかなり微妙。歩かなかった可能性の方が高いかも。そうだと家まで帰れなかった可能性も高いけど、どうなったんだろう。誤解を恐れずに書けば、どっちかというとそっちの方が面白かったのかもしれない。良かったのかもしれない。
というのも、ここからが俺にとっての今日の核心なんだけども。




部屋に戻ってTVとかネットしながら、余震が頻発という状況で
「ああこれ、(地震で)1人で部屋で死ぬのって、ちょっと寂しいかも。誰かといたい」
とか思ったりした。そう思った自分が衝撃的だった。
これが年を取るということなのかしらん。
普段は全然思わないんだけどね。そんなこと。
孤独死上等。死ぬ時は誰も1人だ、とか思ってるんだけどね。どっちかというと。