ポリティカル・パワー!

予定では19:00だった電車がブカレスト・ノルド駅に着いたのは夜中2時過ぎ。。。


どういうことやねん!


こういうことだ。


ベリコ・タルノヴォ発は10:30の予定だったのだけど、実はこの電車、イスタンブールからソフィアへの移動で乗った電車と同じヤツ。その時は、ソフィア到着が2時間遅れだったんで、ベリコ・タルノヴォに電車が来るのも2時間遅れても不思議じゃないな、と思ってたら案の定、2時間遅れで来た。


まあ、ここまでは想定の範囲内。そもそもチケットを買った時に教えられたブカレスト到着時刻は、洪水か何かでルート変更があって本来のタイムテーブルより遅いものだったんで、遅れることは織り込み済。ということで、ここから先、運良く定時で走れば、まだギリギリ日が残ってるうちにブカレストに着く可能性はあると思ってたんだけど。。。


15:30にブルガリア側の国境に到着。
個人的にはブルガリア出国に1時間、ルーマニア入国に1時間くらいが妥当で、それなら20:00着だと踏んでいた。
俺らのコンパートメントは、ベリコ・タルノヴォから一緒に乗ったイギリス人、英語のうまい日本人のおじさん、この国境駅から乗ってきたルーマニア人の女の子(英語がうまい)で、これらの出国は楽勝でパス。


ところが、待てども待てども列車は出発しない。2時間くらいまでは、「なんだか時間かかるなあ」くらいに考えてたんだけど、3時間経過、4時間経過。もうこの時点でまともな時間に着くのは絶望的。暗い中でホテル探すのってけっこう嫌なんだよな、それに夕食が摂れる店も開いてないだろうな、という感じ。
そもそも既にけっこう空腹なんだけども、始末の悪いことにブルガリアの出国スタンプを貰っちゃってるせいか、車両の外に出してくれないんで、売店にも行けない。


なんなんだ。いったい。


日は完全に落ちて暗くなってくる。そのうち、停まっている理由が判明。
インスペクションで、トルコ人乗客がドラッグを所持していたことがハッカク。どうもその調べの巻き添えを食ってるらしいと。


なんじゃ、そりゃ。


いや、ドラッグ所持で取り調べをするのは判るんだが、なんでその巻き添えで乗客全員が何時間もロスしなきゃイカンのだ!
ということで、外国人乗客が動いた。


23:00くらいに別のコンパートメントにいたアメリカ人がウチらのコンパートメントに来て、
「ここ、イギリス人いたよな? とりあえずイギリス大使館に電話してみないか? さっき最初にイスラエル人が電話して、俺もたった今電話したところなんだ。各国の大使館からプレッシャーをかければもしかしたら動くかもしれない」
ということで、イギリス人の彼は俺のガイドブックで在ソフィアのイギリス大使館番号を調べてTEL。


で、俺はというと、別に俺もソフィアの日本大使館に電話してもよかったんだけども、肝心の電話番号がワカラン。ロンプラには欧米豪はほぼ載ってるんだけど、やっぱし日本絡みの情報はあまり充実してないんだよな。
それに、アメリカ、イギリス、イスラエルが電話したんでしょ。それなら最強じゃん。(2005年の世界では最凶でもあるが)日本がなんかやっても意味ないだろ。ほとんどジャイアンの影でぐちゃぐちゃ囃し立てるスネオみたいなもんだ。


電話をかける時はみんなで、まあこれでどうなるか判らないけど、何もしないでいるよりマシだし、これで動けば儲けものだし。くらいの感じで話してたんだが、ついに23:30に警笛が「ふあああああん」と鳴って電車が動き始めた!!!


ををを、これは偶然なのか、それとも本当に最強大使館が動いたのが効いたのか。後者だとすると、恐るべきポリティカル・パワー。


ともあれ車両の乗客一同で拍手。
ドナウ川が国境だった筈なんだけど、真っ暗で何も見えず。どうも川にかかった鉄橋を走ってるらしいということくらいしか判らず。青いのかどうか、ブダペストまでお預けになる。
ちょっと走ってルーマニア側に入る。
日本人のおっさんは、「ここでまたやっぱりあるんですかねえ」って、そりゃおめえ、ルーマニアの主権だから当然だろ。ブルガリアでどれだけ時間かかってようが、基本的には関係ねえよ。
ただ、ルーマニア入国手続きはなんとか1時間弱で終わって一路ブカレストへ。
4人ともいい加減疲れてたんで、みんな寝てたんだけど、なんとか2:00過ぎにブカレスト・ノルド駅に到着。


このノルド駅がまたアレで、駅周辺はあまり雰囲気がよろしくないという情報は知ってたのだけど、野犬はワンワン吠えてるし、ホテル探しもクソもなく、駅前のホテルに飛び込んで、ベッドに倒れ込む。



余談ながら、アメリカ人のパスポートらしきものがチラっと見えたんだけど、すごいんだこれが。
世界各国にあるアメリカ大使館の連絡先が、しかも部門別(リーガルとかメディカルとかセキュリティなんとかかんとか)にズラーっと列記してあんの。
あれって凄い危機管理の基本だよな。
日本なんて、「よろしくね」としか書いてないじゃん!どうせページなんて余ってるのが大半なんだから何ページか割いてでもあれは載せるべきだと思うぞ。
ハビエル・イルレタも言ってるように、ディテールは大事だ。


さらに余談ながら、4人でコンパートメントにいたときに、ちょっとした政治的な話になった。ルーマニア人の彼女はたぶん20代後半といったところで、だとすると10〜15歳くらいの時に革命が起きたと思うんだけど、革命前(つまりチャウシェスク時代)はどうだったんだと尋ねると、遠くを見るような目をしながら絞り出すように
「本当にひどい時代だった。抑圧的で。。。」
と一言だけ答えてくれた。
ちょっと、それ以上は誰も突っ込めなかったな。