歴史博物館!

gowest_lookeast2016-05-22

早朝、ウトウトしているときに地震で揺れた。台湾だwと思った。

朝メシは国華街をだらだらと南下して阿堂で。駅前からだとけっこう相当歩く感があるが、ここからだと散歩感覚である。さすがに早朝の国華街は歩いてる人も少ないけども。
そして阿堂で朝メシ。ここもうまうま。


途中で飯團を買って戻ってシャワー浴びてから出撃。8:30くらいのバス18番で台湾歴史博物館へ。日曜の朝ということで、客は終点まで俺1人だけだった。ほとんど停まらないので45分くらいで到着。
ところで走ってる途中は車窓からボーっと外を見ていたのだけども、不動産らしき看板があってこの価格が坪単位の表示。あれは日本の名残りなんだろうか。それとももともと中華圏で坪単位があって、それが日本に来たものなんだろうか。


さてさて歴史博物館。先住民族はおろか石器時代も含めた展示。そして多民族国家であるということを濃厚に意識した内容になっていた。間違いなく漢人であることを希薄化して作られた展示だったと思う。逆に言えば先住民族に配慮し、台湾は多民族国家であるということを強く訴えていた。まあこの辺は対大陸というのも関わってるのは間違いない。「国立」なんだから事実上国の公式な史観に則ってるのは当然だし。
俺にとって興味深かったのはやっぱり日清戦争以降の日本時代で。受け渡し時には反乱もあって一時的に台湾民主国なる国家まであったととは全く知らなんだ。この国旗まで展示されていた。そして日本の植民地当局がやってきたときには対日抵抗運動・戦闘があったことも。
あとは1936年のベルリン五輪に日本人として出場した台湾人の数奇な歴史の展示。1936年ベルリンといえば孫基禎の話が有名だが、まあ考えてみりゃ台湾からの出場があってもおかしくはないわな。この人は五輪の後も、日本統治下の台湾、満洲で敗戦まで活動していたばっかりに日本撤退の後は一種の漢奸として不遇な目に遭ったということ。
そして展示を見る限り、戦争が始まるまでは皇民化政策はそんなに苛烈ではなかったんだね。いや当然皇民化政策はずっとあったにせよ、戦争を境に一気に推進されていた。
一番印象的だったのは昭和天皇による玉音放送文展示。日本語と並べて中国語訳もあったのだけども、「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」のあたりを指して笑って同行の人に対して何かを言っていた台湾人のお姉さん。
何を言ってるかは全く判らなかったけど「何を言っていやがるんだ?」的な物言いだったとしても、俺は全く驚かないね。
博物館には滞在3時間程度だったが、なかなか面白かった。


外に出ると昨日とうってかわってめちゃくちゃ良い天気。
バスで戻って今日も米糕食ってから、西門圓環そばの100元床屋で髪を切ってから部屋に戻ってシャワーシャワー。とにかくあついあつい。


部屋でまったりしているとNHKワールドプレミアムで19:00(=日本時間20:00)から真田丸が始まってしまうw


夜は圓環に面した鴨肉屋に行ったが、高雄の鴨肉珍と違ってイマイチ。やっぱあそこのは美味かったんだなー。また行きたい!
その後、今日も莉莉に行ってシメ。



P.S.
ここでSHARP AQUOSのTVCFを見るとちょっと笑ってしまう。
今や台湾の会社だ。