Miss Sarajevo

gowest_lookeast2005-10-23

ベオグラードから乗ったバスは、サラエボセルビア共和国側に着いた。
国境ではボスニア・ヘルツェゴヴィナのイミグレを通ってスタンプも貰ったのだけど、セルビアボスニアの関係の悪さを引きずってるのかどうか、よくわからんが、とにかくセルビア側に着いた。


サラエボは山に囲まれた街(冬のオリンピックやるくらいだから当然か)で、ベオグラードからだと東側から入ることになるんだけど、街の西の外れにあるセルビア側へ行くには、バスは街の南側の山の淵を走って西にたどり着く。この山の淵を走ってると眼下にサラエボの中心の街並みが見えるんで、「オイオイ。あそこ通って降ろしてくれよ」と思ったんだが、どうしようもない。街外れで降ろされて、トロリーバスで中心街に入る。


ベオグラードから乗ったバスでサラエボに入った時に気が付いたのだけど、建物という建物に残ってるのね。弾痕が。貫通はしていないんだけど、壁に穴がボコボコ開いてて、小さいもので直径2〜3cm、大きいものだと10cmくらい。それが10個や20個じゃないの。で、そういう家に皆住んでて、それがズラっと並んでんの。普通の住宅地に。
あの、砲撃を受けた映像で有名なビルも、廃墟のまま残ってる。


なんつうか、テレビで観たり、本で読んで知るのと、実際にああいうのを目の当りにするのとでは全然違うな。俺の想像力が貧困なのか?違うと思うけどな。
まあいずれにしても、ここは遠くない過去にそういうことがあった土地だ、ということだ。


そんなサラエボの街なんだけど、本当にこんな所でオリンピックやったのか?ってくらい小さな街。
中心街には、これは復興したものだと思うんだけど、オスマン時代の平屋の古い街並みもあって、思わずトルコに戻ったような感じになる。モスクの形もトルコと同じだし。(Sarajevoの語源はサライSaraj から来ているとのこと。キャラバンサライサライトルコ語で、加山雄三ではない)


で、サラエボといえば、戦争はともかくとして、世界史の鬼としてはやっぱりサラエボ事件
ということで、現場に行ってみた。
問題の橋は、街の真ん中を流れる川にかかった橋なのだけど、これがちょっとここから第一次大戦が始まったとは思えないような、幅5m、長さ20mくらい、ありゃ言われないと絶対に気づかずに通り過ぎるぜ。
何度も地図で確かめたんだが、やはりそれだった。


え。ここでオーストリアの皇太子が殺されたの? みたいな。
そんなオーストリアの皇太子の名前はFranz Ferdinandというのか。これは世界史の鬼も知らなかったな。。。